わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい
鴨居羊子コレクション『女は下着でつくられる』より
『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』

昭和20年代後半~30年代のこと、新聞記者の職を辞して
下着デザイナーとなった日々を綴ったエッセイに惹かれた。

鴨居羊子は自分の会社を、ロンドンタイムスのように小さくて、
しかも権威がなければならない、と決めて起こした。
そのヴィジョンは常にくっきりと潔く語られていく。

私の下着会社が権威をもち、独自のオピニオンをもち、
指導力のある商品を市場におくりだすためには、
純度をまもる点において小さくなければならない。
生産枚数を多くすれば、きっとウドの大木になるだろう。
私の会社は小さくあらねばならない。
それが独自の権威あるオピニオンと指導力のある商品をつくる
私の会社の存在理由であるはずだ。


ものを批評したり紹介したりする立場と、ものづくりをする立場と
どちらも素晴らしいと言う。けれども彼女はものづくりを、
商売をすることを選び、その情熱を冷静に記述した。

宣伝効果というものはガソリンに近づけるマッチのようなものだ。
一本のマッチで大爆発が起きる。
だから自分のマッチの数を増やすことばかり考えないで、
ガソリンのあるところ、ガソリンの状態をよく知ることが先決。
消費者の欲求は潜在需要という爆発力を秘めたガソリンに似ている。


時々夢想する、ものづくりをする人に必要な資質。

私が今ほしいのは、近代的なビルディングでも
何百坪の合理的なオフィスでもない。
海と野原に囲まれた工場で、できたての商品を
ロバで運んでいる自分の妙な姿だった。


取材する立場、取材される立場。
わたしがいつも思っていることと類似していた。

表面的現象をなでるような質問には、それに順応した答えを素直にしよう。そのような質問をする記者とその新聞は、私にそれしか求めていないのだから。しかし、無駄でもいいから、その記者に私の考えていることを十分にしゃべってみよう。それは、その新聞を相手にするというよりは、記者を、その人間を相手にすることである。彼の生活と判断力に訴えてみよう。私の考えに理解を示して、それが原稿となり、そのあとで原稿がデスクにより、整理部によってカットされたとしてもその記者の頭に宿った私の考え方はいつか社会に、何らかの形で働き始めるだろう。


好きな一文。

闇の中で、私は不幸なときの幸せは、たった一言の不平の言葉さえはかなければ得られるんだと思った。



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『女は下着でつくられる』鴨居羊子 / 図書刊行会








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by favoriteworks | 2011-07-22 08:57 | 観る、読む
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